Under the hazymoon

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オートポイエーシスな八卦掌

 オートポイエーシスといえば河本英夫河本英夫といえばオートポイエーシスと学部生の頃に記憶に刻印されたっきり、その後きちんと追っかけていなかったのですが、縁あって、というか、仕事の関係で、久しぶりに河本せんせいのライブトークを聞きました。やはりおもしろい。個人的にすごく刺激されます。他方、新しいと思いつつ、やっぱシステム論っていわゆる東洋思想(中国哲学とか、仏教とか)と親和性高いなーと感じたりも。勘違いだよそれ、と怒られそうな気もするわけですが。
 

 で、その話の中で、荒川修作の作品を取り上げ、人間の潜在力のアフォーダンス的覚醒?超越?みたいなことを言われてました。環境システムをそのようなものとして考えるのも一案なのだそうです。河本せんせい自身がただこれに関しては現実味は薄いという但し書きをつけられていたように、僕自身、山形浩生さんの「不思議なことに、この人たち*1はこれだけこの間抜けな住宅建築を絶賛しているにも関わらず、実際にここを買った人は2006年前半時点で一人しかいない」という批判*2により強く共感しつつ、人間の潜在力とかを開発/創発するなら、成功例のない危うい未来に身を投ずるよりも、埋もれた古人の知恵を掘り起こして頼った方がよくね?と思ったりした次第です。
 
 じゃあその古人の知恵はというと、八卦掌など中国武術など伝統的な身体修養技法などがそうかなと。中国武術だと日常生活で使ってなかった感覚や身体機能が鍛えられますし、禅定なんて見えないものが見えるようになりますよ。えー。
 いやそう思ったのは、河本せんせいの話を聞いていて、あ、八卦掌の教え方ってシステム論だったんだ、とひらめいたからだったりします。背景にある伝統思想からでないしかたで、具体的な修行システムを記述できないものか、と考えていたせいでしょうか。
 たとえば、今日の八卦掌の練習では、遠藤老師に走圏の際に股の付け根をぐいぐい押され、腰や肩の位置を整えられたりして、足を前に出すのもおぼつかない状態になって、太ももへの負荷がそれはすごくて、20分持ちませんでした。で、へろへろになって注意が散漫になると、他の人はどんなんかな〜と目移りしちゃうわけですが、ほとんど同じ指導を受けているようだし、実際どんな風に教わってるかを話し合ってもだいたい同じなんですが、遠藤老師によればそんなことはないですよ、とのお返事。一人一人資質も進捗も違うから、その人にあわせて教えるポイントをきちんと変えているのだそうです。ここで教えるというのは言葉で、ではありません。言葉でなら走圏にはたった一つしかありません。「含胸亀背下端腰」、これだけ。それを一人一人が実現できるように、東に肩が上がっている人がいればこれを下げ、南に腰が出ている人がいればこれを押し込み、とそのときその人に寄り添って手づから微調整を加えてあげることが、教えるということなんでしょう。
 八卦掌では内部的に気の操作を行うのでなく、外部的に身体の型を定めることで、身体を養う方法を選んでいます。身体感覚というのは、目に見えないだけに、非常に共有しづらい/記述しづらいため、型という客観的な要素を基盤とするのには合理性があります。しかし、その型にしてもどの部分にどう力を入れるか、といったことは個々人の身体感覚に頼らざるを得ません。もちろんそれも型の実践において現れるのですが、それは見る人が見れば分かるというレベルで、そもそもそんな目を持たない初修者にとっては至難の技だし、すでに述べたごとく身体感覚の部分を他者と共有するのもまた難しい。畢竟自分の動作、感覚が正しい方向に向かっているかどうかの確認は、先生との面と向かっての直接的な指導を通じることでしかできない話だと僕は思うわけです。ただただ師を信じて愚直に練習できるかどうかが上達を左右するというのは、この意味でまったく合理的だと思うわけです。
 で、このような、師の指導という外部要因により不断に自らを改変しつづける、規定的な型はあるものの、その実践においては、確定的な様相を示せないという走圏のあり方は、まさにオートポイエーシスなシステムじゃないかしらん、と思ったわけです。八卦掌歴史学的な視点で研究するのでなく、今自分がここで習っているものとして研究しようとした場合、どういうスタンスをとったものか悩んでいたわけですが、人類学的な参与観察以外に、教育の問題も含めてシステム論として論ずるという途もあるのかなと、さらにおもしろくなってきました。
 そのためにも、河本せんせいの最近の成果は現代思想に載ってた論文ぐらいで本の方はほとんどを読んでおらず、話を聞いてこれについてくにはちょっと勉強しなくてはと思って、詳しい人に本を紹介してもらったところ、『オートポイエーシス2001』*3と『建築する身体』*4あたりからどうですかとのことだったので、さっそく注文しました。積ん読にならないようにしなくては。。。
 
 ところで、「まだ実感はないかもしれませんが、始めて1年足らずにしては腰ができてきてますよ」と遠藤老師にほめていただきました。わーい。教え方がうまいからですかね、と冗談言われてましたが、本当にそうだと思います。何しろ毎日練習できてない不肖の弟子*5ですから、自分がダメなのはよく分かっているわけです。でもほめられるととてもうれしい。ほめてのばすって大切だなと、一応教える立場にもいる自らの不徳を反省した次第です。やっぱ業界内でイス取りゲームに興ずるよりもイスを作ってみんなで座る方がいいよね、と実感しました。

*1:荒川建築を絶賛する批評家

*2:以下の書誌情報に記載のレビュー参照。ISBN:4891765666:detail

*3:ISBN:4788506998:detail

*4:ISBN:439395503X:detail

*5:といっても拝師してるわけじゃないからこれはレトリックですよ、と念のため注記。