Under the hazymoon

http://researchmap.jp/nomurahideto/

歩眼:足の歩みは眼差しと共にある

先日の李先生の講習会では、眼法、目で見ることを八卦掌ではどのような意味があり、どんな点に気をつけるべきか指導がありました。

李先生は、武術について考えるとき、どんな武術であっても、身法、歩法、手法、眼法の四つの側面から分析可能だとされます。八卦掌では、最重要なのは身法、体幹の安定で、初心者から上級者まで常に念頭において練習することが求められます。ただし練習の階梯としては、歩法、身法、手法の順で動作を学んで行くようになっています。最初に学ぶ龍形八大母掌の、前半四掌では歩法を、後半四掌では身法を重視して練習します。その後に学ぶ単勾式や獅形は、龍形と基本の動作を同じくしながら異なる手法を練習します。実際の学びはもっと重層的なのですが、ひとまずここでは立ち入りません。
さて、眼法はというと、具体的な練習方法はないのだ、と李先生は話されたことがありました。それではどう練習するのか、その答えの一端が先日の講習会でした。
まずそもそも、これまで一連の動作を行うとき、動作の区切りで、姿勢が崩れてないか確認するよう、李先生に促されてきました。しかしそれは、目で見て確かめるのではないのだぞ、そう李先生は念を押されたのでした。自分にもつい目で見てしまう癖があるが、それは見習わないようにとの由。身体内感で、気血の流れ具合で、姿勢のずれを確認するようにとのことでした。
その次に、歩法とは歩眼である、として、歩法と視線の関係について、李先生から実際にお手本を交えつつ解説していただきました。大きくは二つの要点があったかと思います。
第一の要点は、足を動かすときは、目で見ているかのようにしっかり動かせ、というものです。目が見えない状態で歩くとき、人はおそるおそる足を踏み出し、足元が安定しないものです。実際、動作を行うときも、つい目で確認したり、見なければ見ないで、足の位置がはっきり決まらず置き直したりしかねません。李先生はそれを戒めます。目で見ているかのように足はしっかり動かせるよう練習しなくてはならないのです。
第二の要点は、目で見た方向に足がきちんと動かなければならないということです。右なら右、下なら下を見たときには同時に足もそこに動かなくてはならない。もちろんその時には手も体も、つまり全身が目で見たところに進んでいく。視線とは、その人の注意の現れ、つまり精神です。精神の赴くところに全身が突き進む。精神と肉体の一致、それが歩法が歩眼であるということなのだそうです。これは、李先生がこれまでも何度か語られている、空間の把握、空間で戦うという原理を歩法から説明されたもののようです。
空間の把握ということについては、また稿を改めて。