Under the hazymoon

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2010-01-01から1年間の記事一覧

馬貴派の口訣まとめ

体験教室をふまえて、基本的な走圏の口訣をこれまで教わったものからまとめてみました。 1 含胸亀背下端腰 上鬆下緊大力在腿 2 裏直外扣走小歩 上身不動膝下前行 3 平起平落踢門坎 踩蛇頭尾旱地抜葱

馬貴派八卦掌岡山・福岡講習会

李先生による今冬の東京講習会も終わりが近づいてきましたが、岡山と福岡で引き続き講習会が開催されます。 2月16日から3月5日までです。詳しくは以下のサイトをご覧ください。 http://baguawest.ikaduchi.com/Lilaoshiseminar.html http://taiji-yusenkai.s…

手は何よりゆっくり動くのか

李先生がもっとゆっくり練習するようにと言われるとき、何に比べてゆっくり動けばよいのでしょう。李先生より?隣の人より?いいえ、原理的には自分の腰の回転より、だと思います。腰が回ってもいないのに手を動かすから身体がばらつくわけです。一体となっ…

形と式の違い

龍形や熊形は練習するほどに各動作の区切りが判然としなくなり熊そのもの龍そのものになっていくことを練習の目的とするのに対し、単勾式は各動作をはっきりと切り分けることが目的になっていくのだそうです。個々の動作において武器を持っているとしてどう…

多様性の確保と真実性の追究

夏目さんの「八卦掌練習と言葉の不思議」にすごく共感して、長々コメントしてしまいました(>_ 「違うかもしれない」を前提として共有した上で「同じ(方向)だよね」って肯定したほうが、コミュニケーション言語としては生産的 文学などでいえば、それは一つ…

指先に力は込めるが肩は抜け

とか、他は全部動かさないで胸だけ落とせとか、昔はずいぶん無茶ぶりだと思ってたもんですが、いつのまにか、やれと言われたらとりあえずできるようになっていた(^_^;) まあ言われる前からやっておけという話だが、そこはそれ。 しかし姿勢が伸ばしすぎても…

ためをつくると穴があく

ついに単勾八法最後まで学びきりました。もちろん全然できてないわけですが、今後の練習の課題はばっちりです(^^ゞ 熊や龍へのフィードバックがどれだけできるかというのが勝負ですが、とっかかりはいくつかあり、まあいけなくはなさそうです。安定して身体…

燕が鷹を生む

馬貴派的には鳶からは生まれないのでした。まず単勾式をしっかりやって燕ができるようになってから鷹勢を練習した方がよく、両方混ぜるのはよくないそうです。体験教室での鷹勢は教えたことになってないというのはそういうことでしたか(^_^;) それはともかく…

知識と体験の関係性

修行論での課題の一つに、言語化が難しいため記録されづらい身体の領域にどうアプローチするかという問題があります。僕自身は、八卦掌の学習というフィールドワークを通じて、思想史的な研究へのフィードバックをいろいろと試行錯誤して、その成果があるよ…

本当に単勾八法コンプリートかも

本当に毎回一つずつ掌法が増えていくので、本当に単勾八法をこの冬の講習会でやりきってしまいそうです。龍形八大母掌と合わせて二掌制覇!やはり部活効果でついてける学生が増えてきてるから、スムーズに進んでるのかしら。 。。。いえいえ、ここからが真の…

型通り曖昧模糊に行う?

今日の講習会では単勾式走圏をいっぱい直していただきました。曰く もっと両手を伸ばす もっと後ろを見る もっと胸を落とす どぐしゃあときつくなりました。。。どうもこれまでの講習会で勘違いして違う方向に修正していたようで、だいぶ身体内感が変わりま…

伝統四大気功の本質と時限装置的部活効果

八卦掌を通じて伝統四大気功のうちの三つ、易筋経、八段錦、五禽戯を少しずつ学んだのですが、それぞれに本質的な学びのテーマがあり、そこにもとづいて練習してこそ意味があるとのことでした。それは一言でいえば以下の言葉になるとの由。 五禽戯=動物の知…

単勾式の秘密は餃子にあり

正しい鈎手のかたちは今期初めて習ったはずのですが、不思議としっくりきて、なんだか前にもやったことがあるような気がしたんです。 どうしてだろう、何度か繰り返してるうちに、はたと気がつきました。 そうですこの親指の使い方は、餃子の皮を包むときと…

練習の基準は痛気持ちいい?

単勾式走圏をがんばってやってたら、ちゃんとゆるまる程度まで手を下げるよう教わりました。ねじったりのばしたりを頑張りすぎたらしい。もちろんただ楽なだけはアウトでしょう。気持ち痛気持ちいいくらい(^_^;)でどうかしらん。

李先生の教え方

李先生の教え方は、最初に具体的な技術を解説したりせず、ともかくまず自分で試行錯誤させるところから始まります。最初に答えを出してからだと、その予断に左右されてきちんと自分の身体と対話することができなくなるから、でしょうか。おおむね毎回の講習…

内包された「辺境」としてのタオイズム

内田樹『日本辺境論』*1を読んで、最初に浮かんだ言葉は「上に政策あれば下に対策あり」でした。 はるか遠方に「世界の中心」を擬して、その辺境として自らを位置づけることによって、コスモロジカルな心理的安定をまずは確保し、その一方で、その劣位を逆手…

八卦掌と四神の秘密

今日の講習会で単勾式の極意が「亀蛇相依」であると教わったとき、これって玄武だよなとイメージが頭に浮かんだ瞬間、八卦掌に隠された秘密に僕は気づいてしまいました。 青龍=龍形 朱雀=鷹勢 白虎=獅形 玄武=単勾式 と、実は八卦掌の中には四神の技が隠…

武術の動作が健康によい理由

馬貴派では、養生のために武術を学び、武術のために養生を求めることを重視しますが、そもそもどうして武術の動作が生命の原則にもとづいた健康によいものになっているのでしょうか。先人たちの知恵の結晶だからというのがその手がかりになるかもしれません。…

二の腕シェイプに単勾式、バストアップに龍形掌

女性陣にとって、単勾式は二の腕シェイプによいそうです。確かにのばしてねじりますもんね。 今回改めて単換掌は勁を練る動作であることをはっきりと教えていただきました。単換掌の異なる変化は異なる勁を練るというのも非常に納得。具体的なわざとして練習…

肩凝りには馬貴派印の鷹勢走圏をどうぞ!

1時間いや30分もやればどんな肩凝りも一発で治る(大意)と言われましたが、5分持てばいい方ですよ先生! という訳で、今日は体験教室なのに新たに鷹勢を教えていただきました。 詳しくはバッキーズのサイトで。 http://magui-style.blogspot.com/2010/0…

近代以前のキャラクター論は成立するか?

キャラクター論と修行論(や文字論)の接続を考える上で、近代以前/以後の線引きをどうするかというのは前提として考えておく必要がある呼び作業です。 例えば、「中国文学研究でメディアミックスなんて言う若手はタコ!」(大意)という慶応の千田さんの批…

週刊新潮2010年1月28号で夏目さんが馬貴派八卦掌を紹介

本日発売の週刊新潮で夏目さんが馬貴派八卦掌で日本有数の胃弱の血筋を乗り越えた話をされてます(41頁)。半ページほどですが写真つき。立ち読みせずに買いましょう(^_^;) ちょうどいま、東京では李先生による講習会を絶賛開催中です。 https://sites.google.…

まとめようとするとあがるorz

単勾式の方向転換を身につける基礎になる、緊(かたくし)める単換掌が不安定気味でうーむと思ってたら、緊めてまとめようとする意識ばかりで、しっかりすわるのを忘れていることに気づきました。だから今回は中正の中を練るのかと、ようやく昨日の講習内容…

2010年冬の馬貴派講習会スタート!

無手こそ最高の武器修練とか、怒りをしずめて群がる敵を切り崩せとか、李先生、初日からかっとばしてますが、単換掌や中正の理解が次の段階に進んだりと今回も充実した講習会になりそうです。 詳しくはバッキーズのサイトで。 http://magui-style.blogspot.c…

もう一つの人文情報学的文字学の可能性?

ユリイカの白川静特集*1で、おもしろかったもう一つの記事は一海知義×石川九楊の対談「触知する文字宇宙 漢字・書・詩学」です。白川静が甲骨文字の研究にあたってトレーシングペーパーを甲骨の上にかぶせてペンでがりがり移すとき、その筆触によって似たよ…

見えないものを見るための占い

ユリイカの白川静特集*1で、もろさんが「“絶対に当たる占い”の場合、さらに一ひねりが加わっている。甲骨文字を使った占いでは、望ましい結果が出るまで何度も占いを繰り返したり、結果に応じて事前に行われた占いを改竄したり、結果が出た後に問いや占いを…

修行とキャラクター

キャラと占いについて夏目さんのブログでも記事が。 http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2010/01/post-c89f.html 半七親分のコメントによると日本にも同じ状況があったそうで、もろさんのコメントにあったアジア遊学での特集*1とあわせると、かなり広がりそ…

キャラ造形は占いから生まれた?

漢字(キャラクター)の場合と同様、キャラの淵源にも占いがあったというのはどうでしょう? というのも、ちょうど日用類書を調べ始めていて、前に夏目さんから顔の描き方の伝統と人相術について聞かれたっけと、相法の項目を見てみたら、ほくろの位置とかだ…

「気」は「金」のように実在する

現象として気が実在するということと、物質として気が存在するということはイコールではないのだが、しばしば混同されています。中国古典を研究していると、気という言葉を使わずにすませることは非常に困難ですが、とりわけ道教なんか研究していると気その…